世界は錯覚で出来ている

杉原厚吉(工学博士)×石原立也(アニメーション監督)
放送開始記念スペシャル対談 後編

【杉原厚吉氏プロフィール】
岐阜県生まれ。1971年東京大学工学部計数工学科卒業、73年同大学院工学系研究科計数工学専門課程修士課程修了、工学部助手、7月通商産業省電子技術総合研究所研究官、80年東京大学工学博士、81年名古屋大学工学部情報工学科助教授、86年東京大学工学部助教授、91年教授、2001年同情報理工学系研究科数理情報学専攻教授、2009年4月より明治大学研究・知財戦略機構特任教授。専門は数理工学。特に、形に関する工学の諸問題に挑戦しており、不可能立体のだまし絵に関わる錯視の研究も精力的に行っている。
前編はこちら
杉原
画像というのは1枚だけでは二次元で奥行きがないので、絵を見せられたときに、その絵と同じに見える元の立体というのは無限の可能性があるんです。人間は無限の可能性を思い浮かべることはできなくて、脳が勝手にひとつの立体を決めてしまいますが、数学的に見るとそれ以外のものが自由に選べて、それを計算で求めているのがほとんどの錯覚の立体の設計です。このことを利用すると、今度は「立体自身はありきたりのものに見えるのに、動きを加えるとあり得ないことが起こる」という錯覚を作り出すことができるようになりまして、例えばこれ(「歪んだ窓空間」)は何の変哲もない、柱の両面に四角い窓が出ているように見えますけど、まっすぐな棒があり得ない向きで2つの窓を貫いている。なんでそんなことが出来るかというと、脳が思い浮かべた立体と違っているからなんですね。長方形の窓が出ているように見えるのが、実際は斜めに平行四辺形の窓が出ていたということで、これで不思議はないと脳が解決したはずなのに、元に戻すとまた最初に思い浮かべた別の立体を脳は勝手に見てしまうんです。
歪んだ窓空間歪んだ窓空間
石原
(動画を見ながら)本当だ! わかっていても、そう見えちゃうなあ。
杉原
錯覚は訓練で取り除けないといわれているんですが、本当にその通りですね。
石原
話を聞いているうちにやや疑問を生じ始めたのが、先生がおっしゃった「人間は直角が大好き(*)」という話ですけど、太古の昔、人間が自然の中で走り回って猟をしていたときには、あまり直角がなかったのではないですかね?
*前編でお読みいただけます。
杉原
私たちも「直角が好き」というのは現代文明の影響なのではないかと、大変気になっていて、成功はしていないのですが調べようとしたことはあります。ご紹介しますと、私たちの先端数理科学インスティテュートというところには数学を使っていろんな研究をしている人がいて、その中には人類学の研究をしている人もいるんですね。その人がアフリカの狩猟民族のもとへ現地調査に行くというので、ビデオを託したことがありました。普通の映像と錯覚を用いた映像のペアを3組くらい持っていって、どちらが面白い?という聞き方をしてもらって。後者のほうが面白いということだったら錯覚が起こっているんだろうという推測なんですけど、ほとんどそちらが面白いという答えが返ってきたところまではわかったんですが、現地に行ってみたらやっぱり直角に囲まれていた(笑)。ベンチとかもそうだし、住んでいる家も政府の定住政策とかで現代的な家が用意されていて。
石原
おそらく人類が進化の過程で何か四角いものを作るようになって、人間の脳が「この直角というものは便利だぞ」と認識し始めたということですかね?
杉原
それはあると思います。あともうひとつは、同じ人間が成長していく過程でどうなのか?ということもあって、私たちの経験では小さいお子さんに見せると、ときどき錯覚の面白さをわかってもらえないということもあるんです。動きが加わっていると、さすがに変だと思ってもらえるんですけど、静止画のだまし絵や立体では幼稚園くらいのお子さんには「おじさん、何が変なの?」って言われることがときどきある。これ(「無限階段」)なんかでも「上り続けると元に戻るから変でしょ?」と言っても「何も変じゃない。階段があるだけ」と言われることがあって。大人ほどこれが錯覚ということを伝えやすい、説明しやすいという印象を持っています。
無限階段無限階段
石原
それは経験則の違いなんじゃないですか?
杉原
ですから、立体と画像との対応関係は、生活経験でだんだん定着してくるんじゃないかと。考えてみると、小さな子はピカソみたいな横顔と正面顔が一緒にある絵を平気で描いて、抵抗がないですよね。
石原
子供だと思い込みがないということなのかな? 素直に見ちゃうんですかね?
杉原
直角好きは進化で遺伝的にそうなってきたという側面もあると思いますし、個人の経験で強化されてきたという側面の、両方が重なっているのではないかと。
石原
赤ちゃんとして生まれたときからある先天的なものと、後天的にわかることがあるということですね。いろいろわかってきました。
人間の脳はいい加減?
だからこそ生きていける
石原
僕が見ていて怖くなってきたのは、これはひょっとして悪用ができるんじゃないかと。錯覚を利用して、人を見えなくするとか(笑)。
杉原
あくまで錯覚ですので「どこから見ても」というわけにはいかないんですね。ある範囲から見たときに視覚効果があるということなので。
石原
そもそも人間の目って、正確だからこそいい加減なのか、そもそもいい加減なのか……やっぱり、いい加減なんですかね?
杉原
計算機で処理するのと比べると、精度は低いです。コンピュータと比べて、脳の神経回路での処理は遅いと思います。でも、目で見て、その画像を処理して目の前のものが何かを判断するのに時間がかかっていたら、例えば何か飛んでくるものを避けきれないとか、足がすくんでしまうとなってしまい、生活していけなくなってしまいますよね。なので、脳はいろんな情報を捨てながら、もっともらしい情報をなるべく早く判断しようとしていて、そういう意味でいい加減というか、スピードを優先しているんだと思います。何を捨てて、何を優先すれば失敗が少ないかを経験しながら、「直角が大好き」みたいな性質を獲得してきたんでしょうね。
石原
カメラのオートフォーカスなんかでも、ピントが合うスピードが速いメーカーと遅いメーカーとあったりするんですけど、遅いメーカーは正確さを重視した結果、若干遅くなっていて、速いメーカーはスピード重視という、考え方の違いがありますからね。人間も生活する上で、先生がおっしゃられたように「このくらい判別できればいいだろう」という範囲で妥協しているんでしょうね。
杉原
だから、立体を見たときでもすべての可能性には思い至らないというのが効率がいい。よく考えてみると、目でものを見て理解しようというのは、大小の差はあれ、すべて錯覚的な要素が含まれているような気がするんですよ。
石原
それは「ごく普通に見ているときも」ということですか?
杉原
目は単なる、外から来た光を画像として定着するカメラの装置で、カメラに映っているものが何かを知るのは脳の処理なんですよね。すべてダイレクトではなくて、脳での情報処理という間接的なステップを経た後で「今、何が見えている」と判断するので、判断が入っているということは、何か勝手なことを脳がやっているということで。
石原
今回の「無彩限のファントム・ワールド」という作品のテーマも、そういうことを考えています。そもそも日常的に見えているものって、現実にあるものをちゃんと見ていないですよね?という。
杉原
だから、身の周りに錯覚が溢れているんじゃなくて、「世界は錯覚で出来ている」と言っていいんじゃないかと思います。
石原
それ、キャッチコピーに出来ますね(笑)。
杉原
処理の結果がどのくらい物理的な元の状態とずれているか、それとも近いかによって、人間は勝手に錯覚と呼んだり、正しい認識と呼んだりしている。
石原
ほぼみんなが同じように見えているものがあったら、それを常識と僕たちが呼んでいるだけのことで。
杉原
それでいえば、パラパラ漫画が滑らかな動きに見えるという映画やテレビの原理は「常識」といってもいいんですけど、もともと「見る」ということはそういうものだともいえるんですよ。何故かというと、動いているものを見ているときは、本当に連続なものを見ているかというと、実は脳ってそうではなくて。網膜に外から光が届くと、そこが興奮して情報を脳に伝えるんですけど、いっぺん興奮すると不応期というものがあって、次の情報が来ても暫く受け付けられないんですね。収まって、態勢を整えてから、次の光が来るとまた興奮できる。そういう意味で時間的にディスクリートなんです。
石原
カメラでいうところのシャッタースピードですよね? 実際どのくらいの間隔なんですか?
杉原
そんなに短くなくて、数ミリから数十ミリ秒。映画が滑らかに見えるといわれている毎秒20枚とか、30枚とか、あれとちょうど対応するくらいの間隔ですね。なので、ものを普通に見ているときだって、パラパラ漫画を見ているような情報を脳が処理しているといえるんです。
石原
アニメーションは大体1秒に24枚あれば動いて見える。手塚治虫さんが日本でアニメーションを始められたときは、より少ない枚数で動くように見せるということをしたんですけど、その限界が秒間8枚だというのが僕らの中では定説になっています。人間も実際のところ、意外とそんなに無制限じゃないんですね。
杉原
時間についてはそうですし、空間のほうも今のデジタル画像はピクセルが並んでいて、あれは近似みたいに思われますけど、網膜に映った像だってそうなんですよ。
石原
いわゆる解像度ですよね?
杉原
目のセンサーは粒々で、きれいに正方格子には並んでいませんけど、そういう飛び飛びの点で光を受け取ったものを連続な画像として見ていますから、時間についても空間についてもデジタルと同じような原理にはなっているんです。
石原
センサーの話でいうと、昆虫とかは紫外線でものを見たりとか、猫とかだと白黒でしか見えなかったりするんでしたっけ? 人間でも男女で性能の差があって、女性のほうがより色彩を細かく判別できると僕は聞いています。実際、うちの会社とかでも色を設計する人間は女性が多いんですよ。
杉原
特に色って個人差が大きいような気がしますね。色の錯覚というのは、よく錯覚の起きる人からあまり起きない人まで、非常に広く分布している感じがします。そもそも色に名前をつけているけど、どういうふうにその色をそれぞれの人が感じているかは確認ができないので。
石原
例えば(持参したタブレットのケースを指して)これとかでもオレンジと僕は言っているし、皆さんも「オレンジです」と言われると思いますが、そのオレンジと言っている色が僕の感じているオレンジと違うかもしれないんですよね。あと、これは錯覚とは違うんですけど、人間の目の水晶体は年齢と共に濁ってきて、若い頃よりはやや彩度が低くなってくるので、年配の方が派手な色を好むのはそのせいだという話も聞いたことがあります(笑)。
杉原
私はごく最近、片方の目だけ白内障の手術をしまして、そうすると水晶体がクリアなものに置き換わって、青空の青さが随分違って見えますね。片方だけなので両目で見比べることができるんですけど、手術したほうで空を見たほうが青いです。確かに年を取ってくると濁ってくるというのは実感しています。
石原
手品なんかも錯覚を利用していますよね。手品って大袈裟に動かしているところにみんな目がいっちゃうんですけど、実はちょっと違うところでコソコソとボールを出したりとかしている。
杉原
視覚だけではなくて、味覚・嗅覚・聴覚・触覚と、五感の錯覚は全部あるんですけど、それ以外に社会生活の中での錯覚もいっぱいあると思います。広告に釣られて要らないものを買ってしまうというのもそうですし、詐欺に引っかかるとか、ギャンブルにのめり込むとか、その前に化粧やファッションも錯覚の世界かなと思いますね。顔の証明写真を撮るときだって何枚か撮って一番いいものを選ぶわけですから、人間の顔は撮り方によって同じではなくなるということですよね。
石原
まさに「世界は錯覚で出来ている」という、先生からそのお言葉が出たのが、それだけで僕はうれしかったです(笑)。今日はすごく勉強になったし、楽しかったです。ありがとうございました。
杉原
ありがとうございました。